臥龍の最先端研究

釣りと堀江由衣とラジオについての日記。

ダルザナ・マグバレッジ

某餌島のカレンダーが余ったのでしばらく前にH口さんに差し上げたんですが

自宅に掛けていたところ奥様に大不評だそうな。

理由は

「この魚このあとすぐ殺されちゃうんでしょ?そんな写真見てても気持ち悪い」

H口さんは「仰る通りです」と引き下がってしまったようですが

私にはどうにも引っ掛かってしょうがない。


厳密にはカレンダーの写真に写る魚がこの後どうなったのか確認はできないので

本当に殺されたのかはわかりません。

特にプロアングラーと呼ばれる人たちは往々にしてキャッチアンドリリースを信条としていたりするので

必ずしも釣った魚は殺される運命にあるかと言われればそうではない、のです。一応。


とは言え「釣りは殺生である」ことについては以前にも書いた通りで

言い訳のしようがないのですが

私が引っ掛かったのはそこではなくて

そもそも世の中の大抵の人間は他の命を食べることにより生きながらえているので

シーシェパード云々についても同様のことが言えますが

「かわいそう」

とか言い出したら本来何も食べられなくなってしまうわけです。

シーシェパードについては

クジラやイルカがかわいそうで丹精込めて育てた家畜を食べることにかわいそうと思わない矛盾

を指摘してやりたいのですが残念ながら彼らは心の底から「かわいそう」と思って行動している

というよりは

多分に政治的な力学に基づいた行動原理に支配されていると思われるので

そもそもがこの議論に巻き込むことができないので放置するとして

一般人が「かわいそう」を言い出した場合

食卓に上がる一切の食物に対して「かわいそう」と思わなければならない訳で

これを言う権利を持つのは単なるベジタリアンでも不十分で

フルータリアンぐらい徹底していなければ言えないはずなんです。


ベジタリアンの由来は仏教に根ざしていて

それが欧米に伝わると健康志向と合わさり後付けで動物愛護思想と結びついた、と言われますが

真に不殺生を追求していくとフルータリアンまで行き着くはずです。

この現代社会でまともに生きて行くうえでフルータリアンを実践するのは容易なことではありません。

だからこそ他の生物の命を頂く時にはその恵みに感謝して「いただきます」と唱えているわけです。


むしろ食べることを目的としない釣りはキャッチアンドリリースと言って

一見動物愛護のような印象を与えますが

動物愛護の立場を取るならばそもそも釣りなどで魚を痛めつけることはしないのです。

ゲームフィッシングは純然たる人間の快楽のために他の動物を利用するエゴです。

水産資源保護の立場からリリースしてるんだ、という言い訳も聞こえてきそうですが

それもそもそも釣りをしなければ魚が弱るリスクも無くなることを考えればしなければ良いだけの話です。

そもそも釣りで水産資源に影響を及ぼすレベルの話となるのは元々が余程希少性の高い種に限ったことで

大概の魚類は釣り人に駆逐されるとは考えにくいです。


要するに

言い訳がましい

ってことです。


釣りは自然の恵みに感謝しつつ人間の快楽のために魚を痛めつけるエゴ

であることには疑問を挟む余地がないように

フルータリアン以外の人間は命の恵みに感謝しつつ食事をするべきであり

「かわいそう」などという発言は命を実感するから出た言葉であり

その影に命を実感してもらえなかった命の存在があることは確実で

私に言わせれば余程そちらの方が「かわいそう」なのです。


結論は

「かわいそう」

ではなく

「嫁と子供を放っておいて後輩と八丈島に釣りに行くのが恨めしい」

ということですね。


独身貴族と妻帯者が同列な訳がない。

それでも結婚という道を選択したのは其れ相応の覚悟がなければ出来ないこと。

完全に後輩をダシに使ってますよね。


まあそんな事はおくびにも出しませんが。

まして飛行機レンタカー宿の手配を全てH口さんにやってもらってますからね。

完全にコーディネーターです。ノリノリです。


書いてて何ですが

こんな面倒臭い奴はそりゃモテるはずないですよ。
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  1. 2015/02/03(火) 13:52:31|
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